市民活動家・研究者(前千葉県議会議員)

◆ 川本幸立のブログ

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核発電所再稼働反対は「生存のための闘い」 〜そもそも「原子炉」は「人類絶滅装置体系」の一つとして生まれた
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      4月30日「毎日新聞」朝刊の「メディア時評」で、秋道智弥氏(総合地球環境学研究所名誉教授)が、「大飯原発再稼働の是非論や計画停電だけが原発問題ではない。政府や地方自治体の長の意見を後追いするだけにとどまらない視座が求められている。今こそ子どもたちの未来や自然界のいのち(生命)を踏まえた本質的な議論をメディアが先導すべき時だ」と主張しています。
     
     この一文を読み、1945年以降を「核時代」と規定し、核兵器廃絶運動を「生存のための闘争」として実践した哲学者の故・芝田進午先生を思い出しました。 
    核兵器のみならず、核発電問題も「核時代」におけるあらゆる生物の生存を脅かす深刻な問題であること、再稼働反対運動は、「生存のための闘い」であることを強く感じます。

     「Nuclear Weapon」を「核兵器」、「Nuclear  Power Plant」を「原子力発電所」と訳して「Nuclear」を使い分け、「Nuclear Development」も北朝鮮がやれば「核開発」と大騒ぎし、日本の膨大な量のウラン濃縮、再処理によるプルトニウムの取りだしは「原子力開発」あるは「原子力の平和利用」と使い分けてきたのが、大手メディアを含む原子力複合体の面々です。

     そもそも原子炉は原爆用のプルトニウムを取り出すための道具として開発され、できたプルトニウム239を速やかに取り出すために、運転中でも燃料を出し入れできる構造を持つ原子炉として開発されたのが「ガス冷却炉」でありごく特殊な場合には「重水炉」でした。日本で最初に稼働した東海一号炉(電気出力166MW,熱出力587MW)は英国が核兵器製造用に開発したマグノックス型という「ガス冷却炉」でしたし、2003年に停止した「ふげん」(同165MW,同557MW)は世界一のプルトニウム燃焼実績を誇る「重水冷却炉」でした。(小出裕章「朝鮮の核問題をめぐって」『技術と人間』2003年6月号)
     原子炉そのものが「人類絶滅装置」であり、核兵器と核発電は表裏の関係であること、核発電所大事故の特徴は「人類絶滅装置体系」に属することに由来するものです。

    ●政府や日本経団連は命よりもカネ〜核兵器廃絶や非核世界の実現に背を向ける姿勢と核発電所再稼働への強引な姿勢は表裏の関係にある

     さて、核兵器をめぐる状況はどうでしょうか?
    34年前の1978年の国連軍備撤廃特別総会(二千万人以上の日本国民の署名が提出され、502名の日本国民代表団が派遣された)ですべての政府が賛成し採択した最終文書には、
    「世界大戦〜核戦争〜の脅威を除去することは今日もっとも切実かつ緊急な課題である。人類は選択に直面している。すなわち軍備競争を停止し、軍備撤廃にすすむか、もしくは絶滅に直面するかである」
    「資源の限られた世界では、軍備への支出と経済的・社会的発展のあいだには密接な関係がある。軍事支出はよりますます高い水準に達しつつあり、そのもっとも大きな割合は、核兵器国およびその同盟国のほとんどに帰せられ、さらに増大する見とおしであり、その他の国支出を増加させる危険をもつ。毎年兵器の製造または改良につかわれる数千億ドルの金額は、世界人口の三分の二の窮乏および貧困にくらべて陰鬱かつ劇的な対象をなしている。資源のこの巨大な浪費は、すべての国、とりわけ発展途上国において、発展のために緊急に必要な資材のみならず技術的および人材資源をも軍事目的に転用してしまうので一層深刻である」
    「過度の傷害をあたえ、不必要な苦痛をあたえ、あるいは無差別の効果を有するかもしれぬものをふくむ特定の通常兵器の使用を人道上の理由から禁止または制限するための国際的行動がとられるべきである」
    などと記されました。

    34年後の今年3月、韓国で開かれた核安全保障サミットでは、核物質の管理強化と原子力施設の安全対策強化で一致し、課題は米露戦術核の削減だといいますが、「核兵器の使用禁止と廃絶」を見据えたものではなく、あくまでも「核抑止戦略を前提とする核軍備管理」を基本としています。
    先の北朝鮮の「人工衛星」発射問題、中国の軍事力脅威論、あるいは日米安保条約発効60年、沖縄基地問題についての政府やメディアの報道の視点も同様です。
    34年前の国連軍備撤廃特別総会の最終文書などは頭の片隅にもないばかりか、民主党政権や日本経団連などは武器輸出三原則の緩和し、軍備競争をあおって「命よりカネ儲け」を追求する姿勢を露骨に示しています。

     こうした核兵器廃絶や非核世界の実現に背を向ける姿勢と核発電所再稼働への強引な姿勢は表裏の関係にあるようです。

    ●核時代におけるすべての価値の基準は“生存か、絶滅か”そのいずれに与し、寄与するかにある〜芝田進午著「核時代〇彖曚氾庫勝彑通攴馘后1987年)を読み直す

     冒頭に記した秋道智弥氏の一文に触発されて、芝田先生の著書「核時代〇彖曚氾庫勝廖弊通攴馘后1987年)を読み直しました。1978年から1986年の間に核兵器廃絶、核時代の哲学・運動について書かれた19本の論文が掲載されています。
     
     今から約30年前の論文の中で、核発電を核兵器廃絶とどう位置付けているのかが関心事でした。核発電について次のように記されています。

    ・核兵器が現実に廃絶されるために解決されなければならない諸課題の一つが、「既存の原子力発電所とそこで生産される放射性物質をいかに管理し、処理するか」である。
    少なくとも、これら諸課題を解決できなければ、人類は、核兵器すなわち人類絶滅世界装置体系を廃絶することはできない。

    ・核兵器ならびに未完成の原子力発電技術は、「核による死」というまったく新しい、絶対絶命の「死」をもたらし、生命の根源を直撃する。核による絶滅は、「集団絶滅」「未来世代の絶滅」「生命絶滅」であるとともに、「環境絶滅」、さらに「万物絶滅」であり、教育、科学、哲学、芸術、宗教をふくむすべての文化の絶滅、すなわち史上最大かつ最終のヴァンダリズムでもある。

    ・核によるジェノサイドは、核絶滅と核恫喝の戦略、さらに核兵器、核物質の生産、原発、等のかたちで現実化されつつある。核によるジェノサイド、すなわち核による“万物絶滅”は、すべての形態のジェノサイドのネットワークからなるピラミッドの頂点に位置している。いやしくも人類に属するありとあらゆる人びとは、だれも、ジェノサイドの棺を掩うこの巨大かつ不吉な垂れ幕から自由ではありえない。この死の垂れ幕は、旧国際秩序そのものから発して、全人類を陰鬱に掩っているのである。

    Posted by : 川本幸立 | 東北・関東大震災と原発問題 | 12:07 | - | - | - | - |
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