市民活動家・研究者(前千葉県議会議員)

◆ 川本幸立のブログ

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核発電事故問題では「責任・倫理・道徳」を無視する政界・経済界・メディア 〜国際シンポジウム「福島原発で何が起きたか〜安全神話の崩壊」報告
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      内閣府が行った3つの選択肢から原発依存度を選択するパブリックコメント結果について、無効を除く約8万8千件のうち、約7万7千件(87%)が「原発ゼロ」を支持したこと、「思いがそれぞれの言葉で書かれていた」(内閣府事務局)ことなどが報道(東京新聞)されています。

     さて、8月30日、31日は東大・駒場で開催された国際シンポジウム「福島原発で何が起きたか〜安全神話の崩壊」(主催:同実行委員会、共催:原子力資料情報室・東大「人間の安全保障」プログラム・高木仁三郎市民科学基金他、協賛:プラント技術者の会他)に参加しました。

     シンポジウムの目的は、_奮愿・技術的観点から、現時点で到達し得る福島原発事故の真相に迫る、△海竜霏膸故を引き起こした原発政策を検証しいかに安全性がないがしろにされてきたかを明らかにする、これらを踏まえ、改めて核に関わる技術と市民社会の在り方を検証し世界に発信しよう、というものです。

     2日間、朝9時半から午後6時過ぎまで、4つセッション( 嵎‥臑莪豸業で何が起こったか」◆嵎射能汚染の現状」「日本の原子力政策と安全神話の形成」ぁ岾砲鬚瓩阿覯奮悄Φ蚕僂里△衒」)が行われ、各分野の第一人者である講演者・報告者・コーディネーターはあわせて22名(内、海外は3名(米・独・豪))、参加者は会場いっぱいの約400名でした。実に充実した2日間であり、私に今後検討すべきさまざまなテーマを示唆してくれました。

     印象に残った報告、発言を私なりに要約したものを以下に箇条書きにします。

    1.総合的な政策決定では市民と科学者は対等・平等
    討論空間のあり方として、科学的な知見(合理性)を活かしながら総合的な政策判断(道理性)を行う場合、科学性(合理性)は「科学者の責任」の範疇だが、道理性では市民と科学者は対等・平等だ。ICRP(国際放射線防護委員会)は明らかにこの合理性と道理性を混同している。(船橋晴竣氏)

    2.原子力の「平和利用」という神話も打ち破る
    福島原発事故後、日本の核燃料サイクル政策について、「核拡散」=核兵器開発計画を危惧する立場から、国際社会は日本の独善的な姿勢に対し、不信感を強めている。原子力の「安全神話」だけでなく「平和利用」という神話も打破すべきだ。そして脱・反原発と核廃絶をセットで考え、「核拡散」問題に本腰を入れて取り組むべきだ。(フィリップ・ワイト氏)

    3.原発の利用に倫理的根拠はない
    ドイツで原発を推進してきたキリスト教民主同盟を率いるアンゲル・メルケル首相は、福島事故を受けて2022年度までに原発ゼロとする方針を示した。
    ドイツでは原発撤退の期限を2030年代までの延期を連立与党が決定した6か月後に福島事故が起こった。メルケル首相は、事故後数日中に稼働期限を延長する計画の施行の一時停止、17基ある原発のうち最も古い8基の原子炉の停止を命じた。さらに原子力安全委員会に対しドイツの原子炉の安全性に関する報告書の提出を求めるとともに、福島事故後のエネルギー問題を検討するために「安全なエネルギー供給に関わる倫理委員会」を設置した。 安全性の議論は安全委員会で行われ、宗教界を含めた社会分野のリーダーを中心に構成される倫理委員会で道理性の議論が行われた。倫理委員会のレポートでは、ー,寮ぢ紊貿儡物処理の課題を残すことは倫理的問題である、原子力は事故時、他のエネルギーよりも危険である、8業の事故ゼロは不可能である、ことなどを根拠に「原発の利用に倫理的根拠はない」と指摘し、脱原発の方向を示した。(ミランダ・シュラーズ氏)

    4.このままでは敗戦処理と同じてつを踏むことになる
    原発は「犠牲のシステム」の上に成り立つ以上、倫理的に正当化できない。犠牲とは_畊鷸故による犠牲、被曝労働による作業員の犠牲、ウラン採掘の際の被曝労働や環境汚染による犠牲、な射性廃棄物による被曝の犠牲、などを意味する。一方、事故は「人災」でありながら、責任を負うものが一人も存在しないかのごとく全てが進行している。一方で、「総ざんげ論」「自業自得論」がみられる。このままでは敗戦処理のてつを踏むことになる。原発主義の清算をしなければならない。責任を負うべきはだれか?カール・ヤスパースのナチスドイツの戦争責任の区分(〃宰‐紊寮嫻ぁ↓∪治上の責任、N冤・道徳上の責任、し措上の責任(神の前で各人が問われるもの))に照らせば、◆崟治的責任」は為政者の行為により生じたもので地位と関与の大きさにより責任を負うべきものである。「政治的な埒外はない」ことを考えれば有権者も負うべきものである。その政策に反対していたとしてもその結果責任から免れることはできない。の倫理的責任には学者、マスメディアの責任、「だました側の責任」「だまされた側の責任」などがある。本来、大学の責任は成熟した政治判断ができる市民を育むことにある。(高橋哲哉氏)

    5.「社会のカナリヤ」としての科学者の責任と市民の眼
    ドイツの「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」の根幹的立場は「持続可能性と責任こそが倫理的論議を規定する」というものだった。原発にはエネルギーの安定供給という名目がある。そうした目先の利益のみを優先した結果、長期にわたってその負担を背をわされることになるのは未来世代である。これで、持続可能な人間社会を構築できるのか。人類の未来は現代の状況の上に築かれている。未来を見据えた選択がなされてこそ、未来に対する私たちの責任が全うされる。「持続的可能性」のキーワードは、ゞ時性(現在)と通時性(過去から未来へ)の思考、⇒祝描蔀峺饗А↓H鏗下圈弱者・少数者の立場を尊重する(反功利主義)、である。科学者は「社会のカナリヤ」として、問題に対して警告を発する立場にある。そのためには想像力を発揮し、内容をすべて公開し、真実に対し忠実(知的な誠実さ)であるべきだ。それが科学者の社会的責任であり、それは科学者を見つめる「市民の眼」があって果たされるものだ。(池内了氏)

    Posted by : 川本幸立 | 東北・関東大震災と原発問題 | 00:03 | - | - | - | - |
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