市民活動家・研究者(前千葉県議会議員)

◆ 川本幸立のブログ

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米国はなぜ8月6日に原爆を日本に投下したのか?!
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    先日、約10年ぶりに父母、祖父母らが眠る広島の墓参りをしました。
    その折、初めて広島平和記念資料館を訪ねました。1945年8月6日午前8時15分、米国によって人類史上初めて投下された原爆(ウラン235)により、広島市では1945年12月末までに約14万人(誤差±1万人)が死亡したと推計されています(当時、広島には35万人前後の人々がいたと考えられています)。爆心地近くに住んでいた親せき(私の祖母の姉)が亡くなりました。この親せきを捜して叔母は8月7日に、父もその数日後、市内に入ったそうです。晩年、父は「被曝による後遺症を心配した」と語っていました。

    ■敗戦が確実な日本に、しかも8月6日になぜ米国は原爆を投下したのか?

    資料館の展示では、
    「1944年9月、ルーズベルトとチャーチルは今後とも原爆開発については最高機密とし、爆弾が完成すれば慎重に考慮したうえで日本に対して使用することを決めた」
    「アメリカは、無線の傍受や暗号解読によって、日本がソ連を通じて和平工作を試みていたことを知っていた。またアメリカは、原爆の使用により日本を降伏させることができれば、戦後ソ連の影響力が東アジアに及ぶのを避けられると考えた」
    「実験成功から9日後の7月25日、原爆投下の命令が下された。翌7月26日、日本に無条件降伏を要求するポツダム宣言が発表されたが、日本政府はこれを受諾せず、原爆投下は確実なものになった」
    とあります。

    私の手元にある「原子力の政治経済学」(川上幸一著、平凡社、1974年)によれば、
    1945年2月、ヤルタ会談で、米英の要請により、ドイツ降伏後、3か月以内にソ連が対日参戦することをスターリンが約束し、その交換条件として、南樺太の返還、千島の領有、大連、旅順、満州鉄道に関する利権など、日露戦争で日本が獲得したものにほぼ相当する要求をもちだした。その一部については中国との同意が必要なため、文書による協定には至らなかったが、ルーズウェルトはソ連の要求を受け入れた。
    1945年5月7日、ドイツ降伏(⇒ソ連の対日参戦時期が8月7日か8日と予想)
    1945年7月16日、アメリカ原爆実験(ニューメキシコ州のアラモゴルド)成功
    1945年7月26日、米・英・中三国による対日降伏勧告=ポツダム宣言が日本に向けて打電。勧告のコピーを受け取ったソ連・モロトフ外相は、勧告を2.3日おくらせるよう強く申し入れたが、時すでに遅かった。
    1945年7月28日、スターリンは、日本から新提案を受けたことを告げた。天皇から特別の指示を受けた近衛文麿を、特使として派遣するというものだった。
    1945年7月29日、日本、ポツダム宣言拒否
    1945年8月6日、広島に原爆投下
    1945年8月8日、ソ連軍、満州へ進入
    1945年8月9日、長崎へ原爆投下
    1945年8月10日、日本、天皇大権を損なわないことを降伏条件として提示
    1945年8月11日、アメリカ、日本の条件を受け入れると回答
    1945年8月14日、日本、御前会議で降伏決定
    1945年8月15日、終戦、鈴木内閣総辞職
    1945年8月16日、アメリカ、日本占領は米・英で行うと声明。ソ連、これに反対声明。
    とあります。
    つまり、原爆実験成功後の米戦略の柱は、ソ連の対日参戦の阻止であり、原爆投下はそのために日本を早期終戦に持ち込むためのものだったというものです。原子力を対ソ外交の「武器」として使おうという思想も指摘されています。

    また、昨年8月に資料館を訪問した映画監督オリバーストーン氏は、
    「1945年に日本が降伏しようとしていた大きな要因はソ連の侵攻にあったことなどが、米国の学校で子どもたちに説明されることはまずありません。長崎への原爆投下によって第二次世界大戦が終わったという話は、真実ではないのです。
    米国による広島・長崎への原爆投下の本当の目的は、皮肉にも、第二次世界大戦後の米国の勢力圏を守るという時には米国は歴史上最も残虐な行為も厭わないということを、ソ連に知らしめることでした。
    2つの都市に落とされた原爆の意味を区別することは、建設的ではないと思います。1つでも落とされたことが大問題なのです。広島(への原爆投下)は、戦争を終わらせるためだとしても、実にひどいやり方でしたし、このドキュメンタリーでは主要テーマとしませんでしたが、原爆は軍事的にも戦略的にも投下する必要がありませんでした。投下しなくてもよかったのです。戦時であれ国際法に違反すれば制裁が科されますが、米国だけは広島に原爆を投下したにもかかわらず、それをとがめられないという、非常に重大な前例ができてしまったのです。誰も米国に異を唱えようとはしませんでした。抗議の声は挙がりましたが、罰を受けずにすんだのです。責任を逃れられるとなると、隠蔽や不当な工作が次々に行われるようになってしまいます。
    その後、米国は他の国々に対して何度も核の脅威を利用しています。ベトナムや朝鮮で。ベトナムでは、もう少しで核を使用するところでした。フランスに対して脅しとして利用したわけです。ラテン・アメリカでの戦争にもこれを利用しました。中東にもロシアに対しても、何度も繰り返し利用しています。おかげで米国は強気に出ることができたのです。米国の立場からすれば、長崎への原爆投下は、(広島と)何も違わないということです。」
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/95425
    と語っています。
    ■核、アメリカ帝国主義、憲法9条
    1996年7月、国際司法裁判所(ICJ)は、「核兵器の威嚇または使用は、一般的に、武力紛争に適用される国際法、とりわけ人道法の原則及び規則に違反する」との判断を下しました。(http://home.hiroshima-u.ac.jp/heiwa/JNL/shinodaj23.pdf

    「政治的な国家主権に手を触れることなく、経済的には自由貿易を通じて帝国主義支配を行う可能性が「自由貿易帝国主義」に開かれているのである。このような帝国主義概念の拡張と刷新を通じて、旧来のような植民地をもたない帝国主義、自由貿易のグローバル・スタンダードを押し付けることで支配を行なう帝国主義、自らが帝国主義であることを認めようとしない帝国主義の本質をつかみとることができる。まさにこの新たな本質を示すのがアメリカ帝国主義である。」(「アメリカ帝国主義とはなにか」レオ・パニッチ、サム・ギンディン著、渡辺雅男訳、こぶし書房)

    この「アメリカ帝国主義」を確立、維持するために、国際法、人道法に反する核兵器が使用され、その脅威が利用されてきたといえます。
    そう考えると、「アメリカ帝国主義」に対抗するものとして憲法9条の意義がますます光ります。

    140710
    7月4日:広島平和記念公演
     
    Posted by : 川本幸立 | 活動記録 | 22:03 | - | - | - | - |
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