市民活動家・研究者(前千葉県議会議員)

◆ 川本幸立のブログ

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わずか55年で日本を破滅に追い込んだ「明治憲法」体制
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    昨日23日は雨の中、「とけ・九条の会」「誉田九条の会」の7回目の平和バスツアーで安房鴨川を訪ねました。昨年は東京・あきる野市の五日市憲法草案(全文204条、内、国民の権利及び基本的人権条文150条)発祥の地を訪ね、明治の自由民権運動(政治運動+文化運動)で先人たちが獲得を目指した国民の権利(基本的人権)への強い思いが、現憲法にしっかり息づいていることを学びました。今回のツアーの目的の一つは、房総の自由民権運動を学ぶことでした。

    自由民権運動を徹底的に弾圧してできた明治憲法の制定過程、特質、日本にもたらしたものをまず考えてみましょう。

    ●明治憲法【その1】〜プロシア憲法を模範としてごく少数で秘密裏に起草された

    明治政府は1882(明治15)年、専制君主制の憲法をつくる方針の下、憲法調査のため、伊藤博文らをヨーロッパに派遣しました。
    プロシア憲法から伊藤は、ゞο太ではなく立憲君主制を、君主の権限は憲法・国会によって制限されないこと、の「2つの原則」を学び、さらに9餡颪慮限を制限し、た邑△砲弔い得限しうる憲法の立案という、自由民権家が求める憲法とは真逆の憲法をめざしました。
    伊藤は岩倉具視宛ての手紙で、「実に英米仏の自由過激論者の著述のみを金科玉条の如く誤信し、殆んど国家を傾けんとするの勢は今日わが国の現情御座候へども、これを挽回するの道理と手段とを得候」と書いています。
    伊藤は1886年〜87年にかけて、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らと私邸・別荘にこもり、草案(明治憲法の原案)を作成し、1888(明治21)年に設置された枢密院で憲法、付属法令が審議されました。1889(明治22)年2月11日、天皇は憲法発布の勅語を発し、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第一条)、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(第二条)とし、軍隊の統帥・編制、緊急命令・宣戦・講和・条約締結・戒厳布告、司法、法律の裁可・公布・執行、議会の招集・開会・閉会・停会などを天皇の大権とする「大日本帝国憲法」(=明治憲法)を宣言しました。民権家が求めた基本的人権は徹底的に排除されました。
    憲法の起草、審議はすべて完全な秘密とされ、憲法論議を禁止するために伊藤は1886年12月、保安条例を公布し、枢密院の会議では議案はもちろん、顧問官のメモも院外に持ち出すことを禁止するという措置をとりました。
    (日本歴史展望第11巻 「明治国家の明暗」旺文社、1982年)
    明治憲法は文字通り、英米仏からは学ばず、プロシア憲法を模倣してドイツ人の助言者を含むごく少数で秘密裏に起草された作文でした。

    ●明治憲法【その2】〜日本の伝統とは無縁の宗教=「国家神道」を利用した天皇の「神格化=絶対化」

    稲垣久和氏は、明治憲法がヨーロッパ諸国の憲法と異なる点として、「大げさなことに皇祖(天照大神から神武天皇に至る神話にもとづく天皇の祖先)・皇宗(神武天皇以降の歴代天皇)の神霊に告げる形式で始まる」こと、「国家主権者である君主を神話構造の中に置いて神格化するという政治と宗教を直結させる構造」を指摘しています。
    「ヨーロッパでは絶対主義国家の時代でもたとえ形式的にしろ、神⇒王⇒民という順序があった、王権は神から委託されたという「王権神授」という考え方が成立した。ヨーロッパでは1789年のフランス革命などの市民革命を経て近代国民国家が成立し、王権神授説という国家主権論から国民主権論への転換を成し遂げたが、明治維新ではその歴史的認識はまったく生かされなかった」
    「幕末から明治維新期にかけて、「天皇を神にする」ような一部の国学者の偏狭な思想が、倒幕のエネルギーに利用された。それに影響された明治政府は、神仏分離、廃仏毀釈の政策をとり、仏もまた民俗的な神々も政治の力で一掃してしまった。その神仏不在の場所に、今度は天皇という新たな神を位置づけた。これが国家神道という政治宗教である
    「この新しい神道は、対外的には徳川幕府に代わる薩長政府の政治支配を確立させ、対外的には全国民の力を天皇という一点に集中させた。この独特な「滅私奉公イデオロギー」により日本を西洋諸国並みの「近代国家」に仕立てようとした」(「靖国神社「解放」論」稲垣久和著、光文社)

    「天皇神話」に基づく「滅私奉公イデオロギー」で国民を洗脳し、政治支配の確立を意図した明治政府が、ヨーロッパの市民革命に学び国民主権論・人権論を唱える自由民権運動を徹底的に弾圧した理由がよくわかります。
    その点で、明治憲法は、靖国神社、教育勅語(1890年)と切り離して考えることはできませんし、明治維新及び明治憲法発布までの20年間の批判的な検討も必要だと思います。

    ●明治憲法【その3】〜わずか55年で日本を破滅に導いた

    その後、天皇の軍隊の統帥・編制、緊急命令・宣戦などの統治大権を定めた明治憲法下の1937年〜45年の8年間の戦争だけで、アジア諸国で約2300万人の犠牲者を出しました。

    厚労省の公式発表によれば、日中戦争の発端となった1937年7月7日の盧溝橋事件から45年8月15日までの日本人戦没者数は、310万人。40年当時の日本の人口は約7311万人なので、日本人の24人に一人が亡くなったことになります。
    内訳は、軍人・軍属が230万人で、そのうち「外地」での死者が210万人。民間人は「外地」30万人に、空襲や原爆による「戦災死没者」が50万人。沖縄戦の犠牲者は、軍人、民間人ともなぜか「外地」にカウントされているといいます。
    厚労省は死因別や負傷者数のデータは把握しておらず、故・藤原彰一橋大教授の試算によると230万人軍人・軍属の死者中、約6割の140万前後が病死を含む広い意味での餓死者ということです。(2010年8月10日「毎日」朝刊の「発信箱」)

    なお、太平洋戦争開戦の目的に「大東亜共栄圏の確立」を挙げて美化する傾向があるようですが、「米英に対する宣戦の詔書」原案を練り上げた陸軍省軍務局軍務課高級課員の石井秋穂氏は、「大東亜戦争の目的は日本の自存自衛体制の確立にあった。それ以外の目的はなにひとつ意図していないし、ここにも書かれてはいない」とし、東亜の解放や大東亜共栄圏確立などは開戦の目的ではなかったと明言していたそうです。(「「特攻」と日本人」保阪正康著、講談社現代新書、2005年)

    さて、日本が受諾したポツダム宣言によれば、戦前の日本は、「無分別ナル打算ニ依リ日本帝國ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍國主義的助言者」「無責任ナル軍國主義」「日本國國民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者」に支配される国であると糾弾されています。
    この「無責任ナル軍國主義」国家体制(戦前レジーム)をつくりだしたのが明治憲法そのものです。
    民権家を弾圧した政治権力は今度はアジア諸国で大規模に多くの人々の命を奪い、悲惨な状況に追い込みました。

    「・・・日本の民権家たちは、過酷な弾圧のもと茅屋(ぼうおく)の暗い炉辺に集い、自力で難解な法律書を読み抜き、逐条討論を重ねながら自由と人権を保障する憲法草案をつくり上げていたのである。あれから100年、歴史の審判はどのように下ったか。大日本帝国憲法は施行後わずか55年で命脈が尽きた。民衆憲法案は土蔵のすみに埋もれていたが、敗戦直後、民間草案の中によみがえり、現日本国憲法の中に生きてその光を放っている」(前掲著、日本歴史展望第11巻 「明治国家の明暗」、18頁)

    今、明治憲法下の55年の歴史を改ざんし「戦前レジーム」の復活を目指す安倍が目指しているのは「我儘ナル軍國主義者が跋扈する国」に他なりません。
    21世紀に自由民権運動を再興する意義はこの点にあります。

    ●房総の自由民権運動

    23日は、2012年に開館した房総自由民権資料館と民権活動家の原亀太郎墓碑(千枚田)と安田薫墓碑(大山不動尊)を訪ねました。

    「「民権館」創業の経過」によれば、開館に先立ち、1987年〜2002年にかけて10回の自由民権資料展が開催され、1998年にはWEB資料館が開設されています。
    資料館では元高校教師の佐久間館長のお話を伺い豊富な展示資料を鑑賞しました。ちょうど私たちが訪ねたことで入館者400人を達成したとのことで400人目にあたる方が、館長から著書とサツマイモを贈呈されました。
    収集した文書約1000点、書籍10000冊を収蔵していますが、民権家がむさぼり読んだという当時のスペンサーの「社会平権論」、ルソーの「民約論」、ミルの「自由之理」の翻訳本などを手に取ってみました。

    芝山町の桜井静が1879年に、全国の地方議員や有志に「国会開設懇請願案」を送付し運動に火をつけたり、憲法構想の「大日本国会法草案」(全文51条)を起草するなど、千葉は全国の先頭にたって民権運動を担ってきましたが、この鴨川の大山地区(千葉の最高峰・愛宕山の北側)は拠点の一つでした。昨秋、長女に連れられて加藤登紀子さんの農場の収穫祭に参加するためこの地域に来ましたが、まさか大山千枚田のこの地域が民権運動の拠点だとは考えも及びませんでした。(佐久間館長の著作の「房総の自由民権」を読んでいたハズですが・・)
     
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    房総自由民権資料館
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    大山千枚田から原亀太郎墓碑を望む
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    Posted by : 川本幸立 | 憲法 | 17:08 | - | - | - | - |
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